以前、短期アルバイトとして
とある学校の補講にて、
学習支援を行っていました。
そこでは学校の先生方はもちろん、
大学生の方々、
現役を退いた元教員の方々もいらっしゃり、
「教育」に対する様々な意見・考えを
教えていただきました。
中でも私の心に残った方は、
70代女性の元教員の方で、
体が小さく、
静かで穏やかな方でした。
強い個性を感じさせる方ではなく、
いわゆる「影の薄い」方なので、
若かりし頃の私は
「自信がないのだろう」
と見下していた部分がありました。
しかし、時を経るにつれて、
自分の行動に対して疑問を抱くことが多くなり、
「何が正しくて何が誤りなのか、わからない」
「自分が絶対的に正しいことは、全くない」
「自分があくせくしても、他人を変えることはできない」
ということに気付き始め、
生徒に対しても、保護者様に対しても、
持論を押し付けることを避けるようになりました。
そして、今になってやっと、
前述した元教員の方について、
・個性を感じさせない
なぜ?→自分の考えを押し付けようと行動しないから
なぜ?→自分の考えが自分にとっては正しくとも、
誰に対しても正しいわけではないと知っているから
なぜ?→人間は生まれや育ちで様々な価値観を抱くようになるが、
どれも等しく素晴らしいものであることを知っているから
なぜ?→多様な考えを受容できるほど、器が大きいから
と思考回路がつながって理解できるようになり、
その達観した人生の先輩の行動に対して
尊敬の念を抱かずにいられなくなったのです。
馬の耳に念仏といいますが、
若い私には念仏のありがたさがわからず、
自信過剰になって独りよがりになりがちです。
ですが、私が突出して天才的な能力を発揮するほど、
自分が優れているわけでもなく、
やはり平平凡凡な人々の一人にすぎず、
いずれ壁にぶつかって初めて、
念仏のありがたさがわかるようになるのです。
なので、よくわからない念仏を耳にしても、
「今はわからないだけだ」と自分に言い聞かせて、
謙虚な姿勢で聞けたらいいな、と思いました。
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