受験は二の次、大事なことは…

あくまで一個人の意見ですが、

受験で勝つことは、あまり重要ではないと考えております。

 

これについては、反対意見が多いのではないかと想像します。

「学歴社会で生きやすくなるために、

受験で勝つために、勉強をするのだ」

 

確かに、仰るとおりです。

日本は学歴社会、

私も高学歴ゆえに優遇されることが多々ありますし、

優遇されるために努力を重ねてきたのは事実です。

 

ですが、学問の本質は、

受験で勝つことなのでしょうか?

私たちは受験で勝つために、

学校で教えられてきたのでしょうか。

 

いえいえ、

他人の経験を吸収したり、

身の回りの現象を分析したりして、

目的を合理的に達成する手段を探し、

より様々な人の役に立って有能な人材になるために、

今まで学校教育を受けてきたのではないのでしょうか。

 

そのように考えると、

学問は受験のために行うのではなく、

あくまで自分の成長のために、

能動的に行うものではないか、と思えてくるのです。

 

ただいま私が受け持っている生徒は、

その多くが発達障害や自閉症を抱えています。

そんな彼らでも、

私と一緒に学問ができているのは、

学問をすることで、

自分の成長を感じられているからだと考えております。

 

このうち受験生二名はどちらも、

「勉強が楽しいんです」

と、自ら進んで勉強に打ち込んでいます。

 

受験生以外でも学問を楽しんでいるらしく、

お母様がお休みをしたいと申し出られた時に

家庭教師を休みたくない、なんで休むのと

文句を言う生徒がちらほらいたり…

 

このように学問そのものを楽しんでいる彼らに対して、

「志望校に受かるためにはこれだけできないと」

と申すと、それがプレッシャーになって、

却って辛くなったり、不安になったりして、

勉強する意味を見失ってしまうのではないかと、

考えております。

 

なので、受験で受かる、落ちるは二の次にして、

今学問に打ち込んでいることを楽しんでいるのであれば、

受験にかかわらず自ら学問をする人間になるので、

それで良いのではないか、と思うことにしました。

 

受験なんてどうでもいいと言うなんて、

正直自分でも、

とんでもないカス講師

だと思っております。

 

 

それでもこれは譲れない考えですし、

私のような考え方の家庭教師がいてもいいのではないか、

と思っております。

 

 

 

受験のプロの先生、進路指導に実績のある先生、

私からすると大変能力のある、

素晴らしい先生なのだと感じます。

しかも勉強の楽しさを伝えられる方もいらっしゃるでしょう、

もはや雲の上の存在でございます。

 

私は無能で、そこまでとてもとても回らない、

至らない人間なので、

自分のできる範囲で、

楽しさを伝えていこうと思います。

 

(至る所で卑屈ですみません)

 

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