受け入れるということの大切さ

教え始めて一年以上、成績が伸びなかった生徒がいます。
教えても教えても、中々頭に入らず…
さらに固まることが多く、どこで躓いているのか見えにくい…
そんな生徒に対して私が繰り返してきたダメな教え方について語らせて頂きます。

誰もが自分基準で物事を考えてしまうように、
私もどうしても私基準で物事を量ってしまうため、
「これくらいは簡単だから気付いてほしい。考えてほしい」
と、易しい(と私が決めつけている)質問を投げかけます。

具体例

例えば方程式の学習にて
$$3x=x+10$$
ここで生徒が混乱したとします。そこで、私が

「両辺から同じ文字を引いて、左側をxを含む項だけにすればいいよ」
(実際は数学用語を覚えていないことが多いため、
=の両側とか、○xとか、なるべく数学用語を使わずに説明しています)

と伝えますが、生徒は固まったまま。
右辺のxが邪魔だからxを引けばいいよ、と伝えても、一向に手は動かず。
(ちょっとは考えてよ~)と思いながら、

$$3x-x=x+10-x$$$$2x=10$$

と、私が書くわけです。
それで、生徒に解き方を身につけてもらうために、問題を出します。

$$3x=2x+1$$

すると生徒は先ほどの解き方を見ながら、遂に手を動かします。

$$3x-x=2x+1-x$$$$2x=1$$

…あれ?それじゃ右辺の2xは消えないよね、と声をかけると、
固まってしまいます。どうすればいいのかわからなくなるようです。
こちらは気付いてほしいから、右辺の2xを消すためにはどうすればいい?
などと訊ね、待つのですが、生徒は混乱から覚めることなく、固まり続けてしまうのです…

とまあ、このような状態でございましたので、
お互いに疲弊することが多く、生徒も私が言っている意味を理解できないがゆえに、
指導効果が低い状態が続いておりました。

どうすれば生徒が理解できるようになるかとあれこれ考え、
図書館やインターネットで調べ、
いろいろな方法を実践して参りましたが、
有効な手段は中々見つかりません。

ところが最近、「平均的な人々にとっては大変易しいものだとしても、
一部の人々にとってはいくら考えても気付くことが難しいものがある」
ということを理解することができ、生徒が躓いている部分について、
肯定的に捉えようと考えるようになりました。

先ほどの例では、

$$3x=2x+1$$

という方程式を解く際に、

$$3x-x=2x+1-x$$

としていましたが、ここで
「右辺の2xが邪魔だから、この場合は両辺から2xを引くんだよ」
と具体的な手順を伝えることで、どのような操作を行うのかわかるようにします。

さらに数題、同じような問題を解かせ、
最後に「全て右辺の邪魔な項を消すために、両辺を邪魔な項で引いているよね。
だから右辺に邪魔な項があれば、両辺それぞれから邪魔な項を引こう。
さらにこれは左辺に邪魔な項があっても、同じようにやればいいよ」

と、くどいくらい(平均的な人々なら「それくらいわかるわ」とウンザリするほど)一つ一つ、
丁寧に教えることで、自分で考えて解くことができる程度に理解できるようになりました。

彼らは規則性を掴んだり、抽象化したり、言葉を理解したりすることが苦手であることが多く、
平均的なレベル、いやそれより少しレベルを落としたくらいでは、全く理解が追い付けないのです。
なので、彼らの能力を肯定的に受け入れ、彼らにあった速さで教えていくことが、
彼らの能力を上げるためには大切なのではないか、と思う今日この頃です。

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